沿革 History

 ’82年

  • 「図書館に写真集を!」アピールを提言。 (関西の文化人200人が賛同)
  • 国立民族学博物館 梅棹忠夫館長の応援のもとに、畑祥雄・中川繁夫らが中心になり、京都府立総合資料館への写真集寄贈運動に発展する。

’83年

  • 「図書館と写真集」をテーマに講演。大阪北ロータリークラブ(梅棹忠夫館長コーディネイト)

’86年

  • 大阪市より第3回「咲くやこの花賞」を受賞した畑祥雄が、写真文化の普及活動を本格的に始める。
  • ニューヨークに本部のある国際写真センター(ICP)(会長コーネル・キャパ)の広報担当アン・ドーティ女史の滞在をサポートしたことがきっかけで、大阪国際写真センター(OICP)の名前が決まる。
  • 「アメリカ現代写真講座」を大阪府立文化情報センターと共同主催で始め、3年にわたり計24回開催する。文部省よりモデル事業として補助金を受ける。
  • 大島靖大阪市長との写真談義から、畑祥雄が花博写真美術館構想を発表。
  • キヤノン、日本経済新聞社、大日本印刷などの協賛を得て、花の万博にパビリオン・花博写真美術館の出展計画を正式発表。花博写真美術館準備室を開設。

’87年

  • 花博写真美術館出展委員会を浅沼清太郎氏を理事長に迎え発足、畑が理事に就任する。
  • 梅棹忠夫館長より写真・映画等の保存と運用をする「映像銀行」の研究が教示される。

’88年

  • 画像データベースの実験「写真銀行」構想を発表、写真の収集・保存・整理・運用の実施計画を研究する。
  • 花博写真美術館の写真収集ディレクターに伊藤俊治氏を指名、「美しい地球」展が企画立案され、オリジナルプリントの購入プロジェクトに発展する。

’89年

  • 写真文化普及を目的とした「リバティ表現大学写真講座」を大阪国際写真センター企画により開講。(主催 ⑲ 大阪人権歴史資料館)。主要講師陣に伊藤俊治・飯沢耕太郎氏を迎え、毎年約80人の受講生が写真を学ぶ。
  • 文化庁の近現代美術館研修会で畑祥雄が写真の保存・整理の講師を担当。(於 京都国立近代美術館)

’90年

  • 花博写真美術館を実現、会期中に約130万人の入館者があった。閉館後、収集作品は大阪府が計画中の現代芸術文化センターに寄贈。その中の現代美術館に写真セクションを作ることを岸大阪府知事と約束する。

’91年

  • 「山沢栄子」展を企画・プロデュース。東京・朝日会館と大阪近鉄ABCギャラリーで開催。大阪展後、日本写真専門学校の30周年記念事業として、全作品を大阪市(大島靖市長)に寄贈、大阪市立近代美術館の主要作品として収蔵される。
  • NHK番組で特集「山沢栄子の世界」を共同プロデュースする。同時に、ニューヨークの写真芸術家バーバラ キャスティンが制作したビデオ作品「20世紀の世界の偉大な5人の女性写真家たち」の山沢栄子編を共同プロデュースする。

’92年

  • 第三ギャラリー(写真専門ギャラリー)の開設を企画立案、5年間にわたり運営を担当する。(’96年よりスタッフの綾 智佳が独立して、サードギャラリーAyaとして運営する。)
  • 写真評論誌「KULA」を発刊。
  • 畑祥雄と中川繁夫の写真集コレクション等を中心に約5000冊の蔵書による「写真図書館」を開設、館長に中川繁夫が就任。
  • 大阪国際写真センター・写真図書館を運営する(有)写真文化研究所を設立登記。

’93年

  • ユージン/アイリーン・スミス共同制作の「水俣」作品の著作権管理をアイリーン・スミスさんより委託される。
    「水俣」作品の国内及び世界へのディレクト権を持つ。
  • OICP写真学校をスタート。
    (リバティ表現大学に併設する技術と基礎知識のワークショップ)
  • 写真家・田中幸太郎氏が昭和30年代の河内を撮った写真を編集、写真集「シャモとレンコン畑」の出版をディレクションする。また、同写真展を京阪ギャラリー・オブ・アーツ・アンド・サイエンスと八尾西武百貨店での開催にあたり企画と運営を担当。
  • 写真の保存と活用のために、写真データベースを構築する「写真銀行」プロジェクトをプロデュースする。共同研究として成安造形大学・朝日新聞社と 国立民族学博物館梅棹忠夫顧問との合同研究会を始める。

’94年

  • 写真集リスト「GINBON」94年版(写真図書館、大阪府立中之島図書館、神戸市立中央図書館、京都府立総合資料館所蔵の写真集蔵書のリスト)を発行。(序文/梅棹忠夫)
  • 神戸市からの誘致で「写真図書館」を六甲アイランドに移転する計画が進むが、梅棹先生より「写真銀行」構想との分離が懸念され、断念する。
  • 写真図書館の蔵書が増加のため、芦屋芸術学院のメセナにより大阪・中津の教文研ビルに移転。表現大学をOICP主催事業に変更。写真図書館の運営 と設備経費の充足にあてる。また、主要メンバーのボランティアと、人的交流により、寄贈・寄託を受け入れる写真図書館の基本体制を確立。
  • 成安造形大学と大阪国際写真センターの共同主催で琵琶湖ワークショップフェスティバル’94「デジタル写真の近未来術」を開催。
  • 京都国際映画祭参加ハイビジョンフェスタ ’94で、OICPのディレクション 作品「シャモとレンコン畑」がグランプリを受賞。(八尾市生涯学習センターホール用ハイビジョン作品)
  • ドーンセンター(大阪府立女性総合センター)のホール壁画に山沢栄子作品をOICP(畑 祥雄・綾 智佳担当)がプロデュース・ディレクションする。

’95年

  • 阪神・淡路大震災直後に、写真ヘルプネットワークを結成。写真文化の救援ボランティアを始め、東京・銀座で写真作品のチャリティーを写真評論家高橋周平氏の呼びかけで実施、救援金約100万円が集まる。大阪でも約50万円が集まり計150万円となる。
  • 文化庁レスキュー隊により日本近代写真の主要な写真家である中山岩太のネガが救出され、芦屋市立美術博物館の要請により、OICPが2000点のネガのベタ焼きと作品リスト化を、延べ100人のボランティアを組織化して3ケ月で実施。
  • 岡田満写真集「追いつめられたブナ原生林の輝き」(ブレーンセンター刊)を編集、出版プロデュースを担当。96年度林忠彦賞を受賞。
  • 大震災の影響により、表現大学等の写真講座の受講生が1/3に減少。芦屋芸術学院によるスペース提供も無理となり、写真図書館の運営危機に直面。 畑祥雄が伊藤俊治氏と相談し、写真からマルチメディアへの世界的潮流を見通し、インターメディウム研究所を設立。研究生の募集活動を始める。
  • 成安造形大学と大阪国際写真センターの共同主催により「画像データベースとインターネット」のシンポジウムとワークショップを開催。
    (アートトーク〔成安造形大学刊〕に報告。)

’96年

  • 初年度、予想を超えて、94人のIMI研究生が入学。IMI「大学院」講座の骨格となる「写真図書館」に伊藤俊治氏の「メディアテック」を併設し、「写真図書館・メディアテック」としてを運営する。
  • 大震災で救出されたネガによる中山岩太の回顧展が芦屋市立美術博物館で開かれ、ボランティアの力により成立したことが注目を集め97年度日本写真協会賞を受賞する。
  • ユージン/アイリーン・スミス「水俣」を小学校高学年用の教材として再編集したフォトCDを英語版・日本語版で出版する。
    (監修アイリーンスミス、ディレクター畑祥雄、テクニカルコーディネーター金澤徹)

’97年

  • 大阪国際写真センター&インターメディウム研究所が事務局となり、近畿通産局と「写真銀行」のパイロットプロジェクトの研究を始める。研究会メンバーに朝日新聞社、関西京阪奈学術研究推進開発機構、成安造形大学、立命館大学が参加。
  • IMIの3年度事業計画の立案にあたり、移転先として大阪市(小学校跡地 or WTC)、京都府(西陣会館)、KRP(4号館)との交渉が始まる。
  • IMI がWTCに移転するにあたり、OICPは写真図書館を大阪市が進めるソフト産業プラザ共同研究開発支援センターMADOのリソースセンターの中核施設とし て、蔵書・運営ノウハウ等を3年間にわたり貸し出す。リソースセンターの運営は、OICPがMADOより運営依託を受ける合意に基づき、IMIのWTC移 転が決まる。また、3年間の共同運営期間を経て、OICPの蔵書・運営ノウハウが良好に引き継がれる場合には、蔵書等の大阪市への寄贈の検討を約束する。

’98年

  • 文化庁の近現代美術館研修で金澤徹が写真の保存・整理を、畑祥雄が写真のデジタル・アーカイブ構想の講師を担当。(於 京都国立近代美術館)
  • 4月にIMIとOICPが大阪南港WTCに移転。IMI研究生が123人、2期の研修生が24人、合計147人の研究生・研修生のライブラリー機能として「写真図書館・メディアテック」が4月より稼動。また、金澤 徹が写真図書館館長に就任する。
  • 写真からメディアアートまでの動向をキャッチし、世界・日本・関西を結ぶOICPの広報誌「VALNews」を創刊。

’99年

  • 2月にMADOのリソースセンターが正式にオープン。
  • OICP主催の写真講座を「写真表現大学」と改め、83人の受講生、研究生が写真・映像文化の基礎知識を学ぶ。この活動により、カリキュラムをより現代の動きに合わせたものに変える。

’01年

  • 大阪南港WTCよりIMIと写真表現大学、図書館が大阪千里の万博記念公園内に移転。
  • 名称を「彩都メディア図書館<写真・映像・美術・デザイン・音楽>」と改めリニューアルオープンする。また、小本 章が彩都メディア図書館館長、写真表現大学ディレクターに就任する。
  • 小本章とサウンドアーティスト有馬純寿によるサウンド・映像パフォーマンスイベント「モーア氏の庭」を開催。
  • 「アートと本のおまつり」を開催。山本明代カタログ展、ドイツアートカタログ展、カナダ環境アートカタログ展、チャリティー・サイレントオーク ション、ドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」上映関連レクチャー、式典・チャリティーオークション、アートフリーマーケットを開催。

’03年

  • 「写真をもっと好きになる」をテーマに「アートと本のおまつり」を開催。「金村修の写真世界」 -作品上映&トーク- 、中ハシ克シゲ×やなぎみわ/現代美術の中の写真表現-写真表現大学特別公開講座-、ワークショップ「ピンホールカメラ」、ワークショップ「フォトグラム」、写真集でみる写真の歴史、写真表現大学作品展を開催。

’04年

  • 「写真で伝えるということ」をテーマに「アートと本のおまつり」を開催。「椎名誠の写真世界」 -作品上映&トーク- 、写真展「水俣」 W.ユージン・スミス/アイリーン・M.スミス、写真集企画展「ドキュメンタリー写真集」、ワークショップ「ピンホールカメラ」、ワークショップ「フォト グラム」、ワークショップ「カラー写真プリント」、ワークショップ「ジャバラ式アルバムをつくる」を開催。

’07年

  • IMIスクール「総合映像コース」開講。
  • LIFE廃刊にあたりAERA 2007年4月23日号でLIFE特集が組まれる。その際彩都メディア図書館に収蔵されている週刊誌時代のLIFEを撮影協力としてAERAに提供。
  • 「デジタルサウンド講座」開講。
  • IMIスクールが「IMI/総合映像大学」に名称変更。

’08年

  • 「サイエンス映像学会」設立および設立総会・大会開催。事務局運営を担う。
  • 韓国文化観光省の視察を受ける。

’09年

  • 専門図書館を活用した街づくりに協力要請を受け、阪急逆瀬川アピア3の2Fに移転、「宝塚メディア図書館」としてリニューアルオープン。
  • サイエンス映像シンクプロダクション株式会社を設立、写真から映像メディアまでの領域を広げる。
  • 「宝塚メディア図書館&アートスクール」の運営が企画され、映像・写真・音楽・デザイン・ウェブなど、多様な分野を横断して表現を学ぶ講座を開始。

’10年

  • 関西都市居住サービス(株)等へ、<図書館がつなぐ地域文化と市民農園コミュニティー>企画を提案。
  • 「マイ野菜市民農園」で「都市」と「地方(田舎)」を結び、地域の交流&活性化を目指すソーシャルビジネスを開始。

’11年

  • サイエンス映像学会の事務局運営を担い青山学院大学で第五回大会を開催。
  • サイエンス映像学会と日本科学技術ジャーナリスト会議の共同主宰で「科学ジャーナリスト塾」を東京八重洲の関学東京キャンバスで開講。
  • 宝塚メディア図書館をアピアB2Fフロアーに移転し、リニューアルオープン。
  • 図書館企画として写真表現大学写真講座を開講。
  • 「マイ野菜市民農園」をオープン、社会福祉法人「希望の家」と合同で、宮城県の福祉施設に義援野菜を配送。

’12年

  • サイエンス映像学会第五回大会を青山学院大学で開催、テーマは「防災と長寿」。
  • アイリーン・アーカイブの事務代行、サイエンス映像学会(SVS)の事務局運営などに従事。

’13年

  • 「一般社団法人宝塚メディア図書館」として法人化。

’15年

  • 大阪府茨木市に移転、「一般社団法人大阪国際メディア図書館」と名称登記変更。
  • 映像表現のアートスクール「Eスクール」がプレ開講。

’16年

  • Eスクールと写真表現大学を共存させる学習カリキュラムを確立。
  • オリエントコーポレーション株式会社(オリコ)とEスクールが共同でふるさと納税PRのための動画コンテンツを制作。
  • メディア事業部を発足し、READYFOR?でのクラウドファンディングに成功。
  • ハウスエージェンシーとして、森久エンジニアリング株式会社の新ブランド「Morvel(モーベル)」立ち上げに尽力、また関西学院大学出版会より「みらいの里山つくり」刊行を主導。